かりゆしIslands 沖縄...

 2003年の年末に私は家族とともに沖縄の地に移住して来ました。新しい生活を始めた場所は「新都心」と呼ばれる、まさに那覇の新しい都市です。24時間営業のリウボウ、飲食店やトイザらスが入るコープあっぷるタウン、地元スーパーの雄サンエーの旗艦店メインプレイスと、首都圏の都市よりもよっぽど都会で、生活する上で不便なことなど全く無いところです。
 いままでお世話になっていたツタヤ、ベスト電器、ミスタードーナッツ、マクドナルドから居酒屋魚民まで一通り、しかも徒歩圏内にあります。
 ある日、おもろまちにある公園の展望台に登ってみました。那覇水道局の配水タンクがある丘で、ここからは新都心や後ろの首里、泊が見渡せます。
 展望台の下に石碑があります。その石碑に書いてある内容を読み終えたとき、私はしばらくその場で凍りついた様に動けなくなりました。

慶良間チージ(シュガーローフ)

 沖縄戦の激戦地。字安里の北に、位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は「すりばち丘」、米軍は「シュガーローフ」と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
とくにここ慶良間チージの攻防は、1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。
 米軍は死者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。
それ以降、米軍は首里への攻防を強め、5月27日、首里の第32軍司令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。    (石碑の説明文より)

 作曲家 寺島尚彦氏は沖縄を訪ねたときに、きらめく太陽と青い空、どこまでも続くさとうきび畑の中に立った時、ガイドの方から「この畑の中にまだ多くの人の骨が埋まっている」と聞かされたそうです。
 そのとたん、真夏の原色の世界が一瞬にしてモノクロームに変わり、寺島氏はその場に立ち尽くしたといいます。そして耳には、 ざわわ、ざわわ、というさとうきび畑を渡る風の音だけが残ったということです。
 名曲「さとうきび畑」は、こうして生まれました。
 私はシュガローフの丘の上でまさにその気持ちを味わいました。

 そして、風化させてはいけない事実をどうとどめるか、そして現在どう風化しているのか、この目で確かめてみようと思い立ちました。

 そこは観光ガイドブックに載らない場所でした・・・・・・。

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  かりゆしIslands 観光ガイドブックに載らない沖縄 

 

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